物草拾遺
道に落っこっているものを拾って歩く…
三越劇場で岡田茉莉子の「樽屋おせん」という芝届を見た。作者はいうまでもなく井原西鶴で「好色五人女」のうちの一人がおせんである。主演者はいまが色香いやまさる人気女優だから芝居は面白かったが、家にあった江戸文学なんとか雑記みたいな本を見ていたら五人女より四年ほど前に好色一代男が書かれ、そのまた四年ほど前に「物種集」という本が刊行されていることを知った。もちろん見たことなんかない本だが西鶴の和歌、俳諸を集めたものらしい。物種はモノグサと読むのだろうが、モノグサから連想されるのは例の室町期の民間の御伽草子に出てくる物臭太郎である。そのほうの物臭だったら自慢ではないが私は人後に落ちない。
誰かに聞いた話で中世の頃に盛んに拾遺という言葉があり、なんでも文章や歌で漏れたものを拾い集めるのだという。藤原定家というえらい歌人に拾遺愚草というのがあるということを聞き、愚草が気に入ったのでよく憶えている。
写真の画題を考えるというのは厄介なもので、いいタイトルなぞなかなか思い浮かぶものではない。とくに私の写真などは、日本の農民問題とか公害病とかはっきりした主題性をもつものではないから、早い話が題なんかどうだっていいのである。でも題がないのはなんだか顔がない人間みたいでへんだから無い知恵を絞って考えるわけであるが、いま私がやっているのは、人間の愛憎とか哀歓とかいった感情から極力遠去かって、人問でも物体でも、なるべく無機的なモノ白体としてつかまえて表現してみたいということなのである。そこから一流の思想や哲学が生まれてくるとも思えないが、一切の思い入れや臆測をまじえずにモノに対すると一体どういうことになるか、そのへんのところを手さぐりにさぐってみたいというのが私の考えなのだ。そのモノもなるべく日常的、ありきたり、どこにでも転がっているもののほうがいい。それも私は拾って歩くのである。
昔、私たちの子供時分、大きな屑籠を背負って、”くずい-おはらい”といって歩く屑屋さんというのがいた。それはいちおうまともな商売で、例の落語の「らくだ」に登場する久六さんとかいった屑屋がそれで、その下に、たぶん下だと思うけれど何にもいわずに屑籠を背負って道端に落っこっているものを拾って歩く屑屋があった。私のはそのほうである。道に落っこっているのが物草である。質屋にもっていく物をシチグサといい質草とも書くが、質種が正しいんだろうと思う。
といったことで、物草であり拾遺であって「物草拾遺」という平安期とも江戸期とも現代とも、なんとでも解釈自由な画題となったのである。
日本の古い言葉に物の怪(もののけ)などと薄気味わるいのがあるが、人間の生霊や死霊が嫉妬の対象の人にまつわりついて悩ましたりすることをいうらしい。この場合、精神的に考えられやすいが、私は物自体にも一種の霊力があるような気がしてならない。それは自然の草木でも、人間がつくり出した物体でも、そういうものがあるような気がするのである。写真でそうしたモノを表現したとき、実在の内側か奥の片隅に何か、そういうものがあって、それが見る人に何かを訴えるのではないかと思う。そういうものを的確に表現する術など全く持ち合わせていないけれど、なんとかしてそれを手の中に取りこみたいというのが私の願いである。
1980年 日本カメラ 12月号 「今月の口絵」より